Archive for 2月 16th, 1998

  • 思い出せない過去

    Date: 1998.02.16 | Category: A:Diary | Response: 0

     ふと懐かしさを探そうと、CDラックをあさった。感傷にふけるのはあまり見栄えのする行為ではないから、背中を丸めてごそごそとやる。
     たいがいのCDを手に取ったときには、買ったときの動機、聴いていたときの心境、それが流行り歌だった時の自分など、いろいろな思いが渾然一体となって交錯する。懐かしさを喚起させるものもあれば、「あのころはこんなくだらないポップスに心打たれていたんだなぁ」と、ほろ苦い微笑が胸に浮かぶものもある。読者諸兄にも覚えがあることだろう。

     「浜田麻里 Anti-Heroine」が、一番奥の方からでてきた。
     「?」
     当時も今も、浜田麻里というシンガーには何の思い入れもなかった、はずだ。私が思い入れも流行りも関係なしにCDを買う人間かどうかは、自分がよくわかっている。だからこそ、ほかのCDには何らかの形で私の過去をよみがえらせるものがあるのだ。
     このCDだけは、なぜ買ったのか、いつ買ったのか、どのような思いで聴いていたのかが全く思い出せない。とりあえずかけてみたのだが、胸には何も去来しなかった。

     こういった過去の遺物が、年をとるごとにゆっくりと堆積していくのだろう。それを思い出せなくなるというのが、すなわち年をとっていくということの実感なのだろう。
     うずもれた遺跡のように、ひょんなことから表土に浮かび上がる。考古学者がその謎を考えるように、私もしばし時を忘れる。

  • 距離感と世界観

    Date: 1998.02.16 | Category: A:Diary | Response: 0

     今は長野オリンピックの真っ最中である。「3、2、1、ナガノ!」が国民の合い言葉らしいのだが、オリンピックに興味のない非国民の私はそんなものかという醒めた感想しか抱けない。
     長野には一度も行ったことがない。正確には長野市に行ったことがない。スキー場への往復に高速道路を通過しただけである。
     さて、私はバンコクを2度訪れたことがある。パックツアーではないので、地図を買いイントネーションのおかしい、通じるわけもない片言のタイ語で道を尋ねながらさんざん歩き回った。目抜き通りの賑わいや、それを尻目に流れる悠久のチャオプラヤー川は、今でもはっきりと思い出せる。

     私は長野に何の思い入れもない。
     私はバンコクを今でも思い出せる。

     こんな経験は、今の日本人にとってはよくあることであろう。地図上の物理的な距離と、体感する距離感が全くいびつなものになっている。数十年昔の日本人、いや今の年配の人たちにも味わうことのできなかった感覚である。
     自分の住んでいる村があって、隣り村には遠戚が住んでいる。年に数回バスで出かける街には映画館と洋食屋があり、それが最上の娯楽。その街には汽車の駅があって、それに乗って大阪や東京に行くことはちょっとした話題になる。そんな感覚、ある意味ではまっとうな距離感しか、数十年前には存在しなかったのだ。

     長野よりもバンコクが近い。そんな地図を心に描く我々の世界観は、距離感の変化と同じように変わっていくのだろう。人とのまじわりや、感じられる現実感も変化していくからである。タイの友人たちの微笑みには、長野のおっさんのくしゃみよりもリアリティーが存在する。

     数年前アジアの田舎町で、その町の住人に、「飛行機に乗ってやってきた」と言ったらまるで異星人を見るような顔をされた。
     全ての人々の意識が、すべからく物理的距離感を吹き飛ばせるようになるのはいつのことになるのであろうか。そうなれば、世界はずっと面白いものになるに違いない。

  • 夜明けのメリー・ペシミズム

    Date: 1998.02.16 | Category: A:Diary | Response: 0

     夜明けに凝っている。凝っているという言い方じたい文法的におかしいのだけれども、僕の気分もまた変なので、ちょうどよいのであろう。

     静寂の中におかれていると、筆舌には尽くしがたい気分になる。自分の存在が、研ぎ澄まされた感覚となって知覚できる。なんだか、泣けてくる。一日のはじまり、という躍動感あふれる時間にも関わらず、世界は止まって鳥がさえずる。そうなんだ。僕もたまに声を出してみる。

     夜明けの発声の心地よさ、世界で唯一の実存在になったかのようなこの高揚感は、鳥と僕の他に誰がわかるんだ?

     泣けそうになったりたかぶってみたり、僕はこの静かな場所で、自我を空気に曝している。もし何者かが襲ってきたら、すぐにつつかれて血があふれるような柔らかい内蔵を、さらけ出している。
     でも、誰もここには辿りつけない。

     夜明けなのだから。

     普段抑え込まれていた感情がどこからかはいずり出てきて、自分だけの時間の中で僕を操る。「過去」と「孤独」が今のキーワードなのだけれども、今もこうしてキーボードを叩きながら自虐的な空想に酔っている。

     夜明けに起きていることは、僕にとって最上のマスターベーションだ。
     背徳的な快楽が、他の全てから僕を切り離し、ただこの夜明けの中で。常に「未来」あるいは社会との関わりで生ずるたぐいに自意識は縛られているのだけれども、この時間だけは僕を自由にする。夜ぁ駄 目だ。あいつは重っ苦しい奴なんだ。しかたがないから、みんなテレビのチャンネルがつけっ放しなんだろう?

     太陽と月が同時に見えるのは、二人の女にすっ裸にされてるようなもんだ。僕は視線を気にしながら、それでもその視線が心地よいから、もだえてみせる。

     たまに、振り返ってみる。
     誰かが俺を見ているような気もするし、何も見えない時もある。

     夜明けなのだから。

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