Archive for 12月, 1999
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1999/01/31 僕の手は届かない
散歩道で、初日に声をかけてきた少年に出会う。日本語の達者な奴だ。
「ドコイキマスカ?」
ちょっと友達の店にね、そんな風に答えると、彼は即座に「パパンでしょ。人を騙す奴ね。」と強い口調で切り返す。「あの女の子もパパンに騙されてるね。パパン、日本人いつも騙す」
彼はそんなことを言った。
カジュラーホーは狭い村だ。
僕がパパンたちと仲良くしていることはすぐに周囲のインド人たちに伝わるらしく、顔見知りになった奴らが、口々にパパンの悪口を僕に言う。
日本の田舎と同じだな、と僕は思った。パパンが本当のところ、どんな人間かはわからないけれど、彼が近所でよく思われてはいないのは確かだった。パパンは悪い奴ではないが、日本人に受けるせいか客引きや物売りに妬まれている。
パパンはよくいるインド人の物売りで、僕だってカオリさんだって彼のカモだ。
パパンとカオリさんは一緒になって、日本人をカモにしている。そんないくつかの推測が思い浮かんだけれど、どれだって僕には関係ない。
僕は親切めかして忠告をくれるインド人たちに手を振って、遺跡公園のすぐ横にあるパパンの店に行った。
「ハロー」
「やあ。よく眠れたかい」
「ああ、ぐっすり」
パパンはニヤリと僕に向き合い、
「俺は寝不足だよ。昨日は夜遅くまで彼女とファイティングさ」
明るい日光の下で、カオリさんは昨日より困った顔で笑った。僕だって同じ顔で笑うほかになかった。
彼の店で象の神様、ガネーシャのネックレスを買った。300ルピー。パパンは僕に煙草をせびった。一箱丸ごと投げ渡してやると、彼は大げさに感謝の辞を述べた。
面倒くさくて、何だってよかった。ホテルの側にある池の畔に座って、ぼうっと水面を眺めていた。気が付くとカオリさんが、僕の横に腰掛けた。
「あたしね、風邪ひいてネパールからここへ来たの。のんびりして、いいところ、カジュラーホーは。パパンも、いるし」
「うん」
「・・・でも、やっぱり狭い村なのよね、ここは。いろいろと。みんな顔馴染みだし、何かと大変なところ」
そう言うと、やはり困惑の微笑みを、僕に向けた。
「これから、どうするの?」
彼女は僕を見上げた。
僕たちはしばし眼を合わせたまま、黙って次の言葉を探した。
僕は、
僕は、
「明日出発するよ」
彼女にそう告げた。
「そうなんだ」
カオリさんはどうするの?
まだここに留まるの?
僕が訊ねる暇もなく、彼女が口を開く間もなく、例のインド人少年が背後から不意に言葉をかけてくる。
「コンニチハ、ナニシテマスカ?」
お喋りだよ、彼にそう言ってから、僕は腰を上げて独り遺跡公園へと歩きはじめた。
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1999/01/30 Relationship
今日も朝は遅い。昼過ぎに宿を出て、トマトサンドイッチ、バナナヨーグルト、チャイのブランチ。こじゃれたメニューは失敗の味がした。美味しいとは言いがたい。
町の中心部はちょっとした広場になっていて、インド人・外国人を問わずいつも暇そうな連中がたまっている。僕はその広場で、日本人の女の子に呼び止められた。彼女はパパンという名のインド人男と一緒だった。三人で、他愛もない雑談をする。カジュラーホーにはいつ来た?日本ではどこに住んでる?・・・そんな感じで。
「何もなくて、だから落ち着くの」と彼女、カオリさんは言った。確かに、遺跡なんて一日で飽きる。その他には、土産物屋とそれほど旨くもないレストランが数軒。僕たちは揃いも揃って、時間を持て余していた。それほど饒舌でもない僕だって、会話には飢えていた。久しぶりの日本語だった。夕刻、僕は彼女に誘われてパパンの家に招かれることにした。パパンも喜んで僕を案内してくれた。村の外れにある彼の家まで、薄暗い小径を歩いて向かった。

パパンの家はインドでは裕福の部類にはいるのだろう。居間にはソニーのテレビがあり、ホームドラマやカートゥーンを放映していた。
カオリさんがパパンの母親に呼び寄せられる。食事の用意を手伝うのだという。慣れた風で彼女は奥に入っていった。彼女は既に何度もこの家を訪ねているようだった。
パパンに「僕は?」と訊いてみたけれど、「君はゲストだよ」と言って居間に招く。台所を見たいんだ、と僕は言ってみた。土間ではパパンの母親がカレーを作り、その横でカオリさんがチャパティーを焼いていた。
「インドでは女が食事を作るんだよ。日本でも同じだろう?」
とパパンが言う。 僕は独り暮らしだし、自分で料理するんだ。パパンはそれを聞くと、「そりゃすごいな。僕は何にもできないよ」と笑う。
パパンの家族、それにカオリさんと夕食を食べ、ビールまでご馳走になった。酔いの回ったパパンはカオリさんの肩に手を回し、彼女ははにかむような、困ったような顔を見せた。
「明日は僕の土産物屋においでよ」
パパンが言う。
「ああ、覗かせてもらうよ。今日はありがとう」
僕は彼の家を辞した。宿に戻ると、同宿の日本人たちがここの主人と焚き火を囲んでいた。北インドの夜は寒い。僕も輪に加わり、焚き火に手をかざした。
パパンの評判は悪かった。温厚な口調ではあるけれど、宿の主人は僕の話を聞くといい顔はしなかった。日本人たちはカオリさんの悪口で盛り上がる。商売上手なインド人と、彼にべったりな日本人女。パパンとカオリさんはそんな風に思われているようだった。 -
1999/01/29 カジュラーホー郊外
起床は10時過ぎ。久しぶりにお寝坊だ。少し風邪気味で、おまけに虫歯が軽く痛む。体調が良くないのかもしれない。
インドの建物は夏を基準に造られているので、天井が高く通気性がよく、おかげでこの季節は少し肌寒い。そのせいかもしれない。
ホテルで洗濯を頼み、昨日のレストランでフレンチトーストとコーヒー。こんな朝ご飯だって、考えてみれば久しぶりだ。今日は東外れの郊外にある遺跡まで散歩に出掛けようと思う。村の中心を一歩外れるとのどかな田園が広がるだけだ。故郷を思い起こさせる。しつこい客引きももう姿を見ない。代わりに、子供たちが群がってくる。小学校から英語を習うと言うだけあって、なかなか達者だ。なかんずく女の子が愛らしい。
チョコレート、ボールペン、1ルピーをねだることを除けば。村の東北にある寺は、田圃の真ん中にぽつねんと佇んでいた。静かに風が吹くだけ。全然有名ではないけれど、僕の心をくすぐる。

ひきかえ、ジャイナ教寺院として有名な南の寺院群の周囲には、土産物屋が林立していて落ち着ける雰囲気ではなかった。
宿に戻ると、頼んでいた洗濯がたった半日で仕上がっていた。不思議なくらいに早い。まずまずの仕上がり。ジーンズなど3点で100ルピー。結構な料金だ。 -
1999/01/28 カジュラーホーへ
目を覚ますと既に7時45分。列車の出発時刻は8時15分なのだ。慌てて荷物を詰め、支払いを済ませてリキシャに飛び乗る。貧乏旅行の悲しい性で、こういう危急時にもご丁寧にリキシャ代を値切り、行きと同じ30ルピーで駅まで到着する。時刻は8時10分。
そして「シャタブディ・エクスプレス」は30分遅れだった。
こんなもんだ。
昨日と同じように車内では朝食が配られるので、変わり映えのしないそれを食べる。ところが、ボーイには44ルピーを請求される。フリーじゃないのか、と訊ねたら、始発駅からの乗客だけが無料なのだそうだ。なるほど。周りの客がほとんど注文しなかった理由がようやく納得できた。ずいぶんと遅れて列車はジャンシーに到着。客引きに誘われるまま、90ルピーでカジュラーホー行きのバスに乗り込む。楽ちんだが慌ただしく、風情がない。トラブルがあれば不平が出るし、スムーズなら逆に張り合いがない。旅行者というのは、とかく贅沢な注文をつけたがるものだ。
乾いた荒野の一本道を4時間、途中5分の休憩のみ。カジュラーホーに到着。バスという乗り物が嫌いなので、どっと疲れる。
バスを降り立つと群がってくる客引きの中に、泊まろうと考えていた「Hotel Lake Side」のそれがいた。彼に話しかけるとサイクル・リキシャを用意され、5ルピーでホテルへ。
100ルピーで小綺麗、ホットシャワー付き。昨日からホテル運は上昇中だ。ホテルは中心部の少し南側にある。この村の観光資産、寺院公園までは歩いてすぐ。折角なので、まずはそこまで向かうことにする。
公園は遊歩道や芝生が整備されていて、リスの姿も見える。点在する遺跡を、一つ一つ眺めて回る。このカジュラーホーの遺跡はその彫刻で世界に知られている。

インドが誇るハウ・トゥー・セックスの聖典「カーマ・スートラ」をそのまま彫り込んだエロティックな彫像が、外壁一杯を装飾している。アクロバティックな性交体位 の数々。ほうっと感心しながら見上げていると、いかにも新婚旅行といった風情のインド人カップルが何事かを囁き合いながら通 りかかっていった。正直言って、そのカップルのほうがよほどヤラしく見える。さぞかし、こんな場所で恥じらう新妻を冷やかすのは至福の楽しみだろう。

今日も相変わらず、夕食はターリー。とにかく人が寄ってくる。
服を誉める男。
日本語ペラペラの少年。
詐欺の手口を一つずつ紹介し、最後には「自分はしない」と強調する男。こんな連中が僕の前に文字通り列をなし、入れ替わり立ち替わり下手くそな作り話を披露する。いい退屈しのぎではあるけれども。どいつもこいつもそろって学生だと自己紹介する。客引きにだって、不文律のマニュアルはあるみたいだ。
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1999/01/27 タージマハル
その日の早朝も交渉から始まった。
「宿代が一泊足りない」
と迫るホテルの従業員。僕はレシートを見せながら、
「ちゃんと払ってるんだ。どうしてもう一泊分だ?」
と反論する。前払いにはレシートを受け取る、というのは万国共通の鉄則だけれども、今まで旅したことのある東南アジアでは、こういう目に遭うことが無かった。まだ朝というには暗すぎるメイン・バザールをニューデリー駅へ。人の姿もない。たまさかに軒下で、毛布にくるまり、ほとんどモノのような状態で蹲っている路上生活者の姿だけが目につく。
出発より20分も前に着いたけれど、既に目的の列車「Shatabdi Express=シャタブディ・エクスプレス」はホームに入線していた。これはインド国鉄随一の高級列車で、中距離の都市間連絡列車だ。この列車はニューデリー駅からアグラー、そしてカジュラーホーの最寄り駅ジャンシーを経由してボパールまでを運行する。今日はアグラーまで、そして明日はジャンシーまでの乗車予定だ。 指定された座席はインド人夫婦に占領されていた。話しかけると、「後ろの席と代わってくれ」と言われ、頑として席を立たなかった。納得はいかないものの、仕方なしに僕の席は窓際から通路寄りに変更されてしまった。
ニューデリー駅の出発ベルは「ファファーン」という電子音。マイクロソフトのWindows95の起動音とまるきり同じで、奇妙なものだ。ホームにはパソコンの起動音がひっきりなしに鳴り響く。そのうちの一つを合図に、我が「シャタブディ・エクスプレス」が動き出した。
車内では朝食が配られる。この高級列車では朝食代も乗車券に含まれている。メニューはオムレツとパン、それにリンゴジュースとミネラルウォーター。朝陽輝く車窓を見ながらと洒落込みたかったのだけれども、残念ながら窓にはカーテンの代わりにオレンジ色のサンシールドがべったりと張り付けられており、おまけに朝露に曇って景色どころではない。列車は遅れることもなく、2時間ほどでアグラーに到着。ホームでは右往左往する日本人の女の子に会った。話を聞いてみると、彼女は旅行代理店でこの列車のチケットを購入して来たらしい。値段を訊くと、やはり正規の2倍以上だった。女の一人旅は大変なのだろうと思いながら、そこであっさりと彼女と別れた。
よく考えてみれば、彼女の目に僕は、随分と薄情な男に映ったに違いない。アグラーはインドでも一、二を争うボッタクリの街だという話を聞いたことがある。駅前にはプリペイド・リキシャーのスタンドがあるというので目指してみるも、この街でそんなお上品な秩序を期待する僕が甘い。スタンドは無人で、あっという間にリキシャーの運転手が僕を取り囲む。目指すホテルを口にすると、そのうちの一人が30ルピーで行くという。僕は彼のリキシャーに乗ることにした。
そして彼のセールストークが始まった。
僕はタージマハルにほど近い「Hotel Raj」に泊まることに決めていた。値段も手頃だし、何よりもタージマハルから50メートルというのがいい。
「Hotel Raj?あそこは最低だ、止めた方がいい。今は客だって一人もいないさ。少し前にね、あのホテルでは疫病が流行って、おまけにその治療薬でも病人を出したんだ。もっといいホテルはいっぱいあるよ。俺のお薦めはな・・・」
経験的に、客引きが厭がるホテルというのは良いホテルであることが多い。口コミで旅行者が集まるため、わざわざ客引きにコミッションを払わず、あるいは少額で、そのために客引きが連れて行きたがらなくなる、というケースだ。僕はHotel Rajに泊まる決意をますます固くして、
「ノープロブレム」
と笑い、そして思いっきり顔を引き締め
「アグラーはもう2回目だ。早くHotel Rajに行け」 と怒鳴った。初心者はどこでだってナメられるけれども、逆にいえば経験者、あるいはそのふりをすれば、その分楽に旅が出来るのだ。運転手は観光にも誘ったが、それも断る。
これで彼と気まずくなったかといえばそうでもなく、屈託無げに彼は女の話を始めた。やれやれ、今度は売春のお誘いかと思ってよく聞いてみると、それは彼がいかに日本人の女にモテるか、という自慢話だった。日本人の女はすぐにセックスさせてくれる。そういう話。デリーでも同じ話を聞かされたけれど、どこまでが本当なのかは分からない。まあ、日本人女性がそういう目で見られているというのは事実なのだろう。
何だかんだといいながら、真っ直ぐにHotel Rajには到着した。確かにタージマハルのすぐそばで、おまけにホットシャワー付きのシングルルームが100ルピー。部屋も綺麗でレストラン併設とくれば文句無しだ。早速にタージマハルを見に出かける。ご存じの通 り、「世界で最も優美な建物」と賞される大理石張りの巨大ドーム。ムガール帝国の皇帝、シャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルの墓廟。帝国を傾けるほどの贅を尽くして建てられた愛の結晶だ。
入り口では厳重なセキュリティー・チェックがある。ここは火気厳禁で、煙草やライターも預ける必要がある。何故だか知らないが、計算機も持ち込み不可。ついに姿を現したタージ!
最も、初見の感想は「写真と同じだ」という、美的感覚に乏しい僕だった。あまりにも端正すぎて、それ以上の感想が出ない。晴れ上がった青空をバックにそびえるシンメトリーの純白。ここまで美しすぎると、かえって人は、というか僕は拍子抜けしてしまう。
靴を脱いでドーム内を歩く。装飾もまた素晴らしい。ちゃんと中央には王妃の棺が安置してあるけれど、観光客の雑踏の中、とても安らかに眠るというわけにはいかなそうだった。
タージマハルの美しさには後日談がある。この時に撮った写真を日本でA4大に印刷してみると、息を呑むほどに鮮烈な美がカラープリンタから吐き出されてきた。安物のオートマティック・カメラでシャッターを切っただけの代物なのに。
これがタージの美か。
改めて僕はその偉大さを、遠く離れた日本で知ることになった。誰がどのように写 しても、そこに芸術美を残す世界遺産、それこそがタージマハルだ。
ホテルに戻って昼食を取ると、うつらうつらと眠気が襲い、しばらく仮眠をとる。起きあがってからはリキシャーでアグラー城、そしてジャマー・マスジッドという名のモスクを巡る。やはりとてつもないスケールのアグラー城では、息子に幽閉されたシャー・ジャハーンが、愛妻の眠るタージマハルを眺め暮らしたという部屋から、同じ景色を見ることができた。

ゆっくりとタージを眺めながら散策したかったのだけれども、あいにくと立派な蜂の巣が天井に巣食っていて、とてもそれどころではない。
ぐるぐるっとアグラー市内を回り、ホテルに帰ってくるとリキシャーマンが値段のことでごね始める。結局当初の約束に10ルピー上乗せし、70ルピー払うことになる。この程度ですむなら、と思う心がまだまだ甘い。彼にはしきりに「ムガル・バザール」に行こうと誘われたのだけれど、どうせ土産物屋だろうと思って断った。名称には随分惹かれるものがあったけれど。夕食はホテルの隣にある民家みたいなレストランでとることにした。昼間子供たちに誘われてここに行くと、屋上からはタージ・マハルが一望できる家族経営のレストランだったのだ。
あいにくこの日停電があったのだけれども、蝋燭の灯に照らされて、ここの家族たちと同じテーブルを囲んで食べるインドカレーは、幻想の光景そのものだった。おまけに旨い。チキンと野菜のカレー、ビリヤーニという炊き込みご飯にチャパティー。夜のタージマハルもそんな食卓に華を添えてくれた。
・・・と書けば大変よろしい話で終わるのだが、残念ながらそこはインド、その食事代がなんと100ルピーだった。何だか家族ぐるみの詐欺にあった気分になる。 -
1999/01/26 マハラジャ・マック
今日は大学時代の友人と会う予定。たまたま彼がインドに行く時期と重なることが分かり、それならばということで約束をしていた。
メインバザール入り口の交番で無事彼、「ごえもん」と落ち合い、機内で一緒になったという林君を紹介される。インドというよりヨーロッパが似合いそうな風貌にも関わらず、これがインド3回目だという。今日はインド独立記念日で、インド門付近ではパレードが行われるという。折角なのでそれを見物に、と昨日に続きインド門に出向く。
華やかな衣装に身を包んだパレードが、続々と目の前を通過していく。見物客の出もなかなかのもので、近くにはおもちゃや風船を売る屋台も並んでいた。まさにお祭り気分。ここインドにもマクドナルドがあるという。この国では宗教上牛(ヒンドゥー教)と豚(イスラム教)が御法度なので、ハンバーガーのパティは羊肉だという。その名も「マハラジャ・マック」。これは食べてみたいということで、看板を辿りながら店へと向かう。
お祭りのせいか店内はとても混雑していたけれど、その全ては身なりの良い家族連ればかりだった。セットメニューが90ルピーもするのだから、当然かもしれない。羊のハンバーガーは、思ったよりも美味しい。小腹がふくれたところで、コンノートプレイスを散歩。放射線状に拡がった街の中央には公園があり、落ち着いた雰囲気だ。
夕食は3人でレストランに行く。奮発してマトンステーキとトマトスープ。これにミルクとレモンジュースを頼み、85ルピー。ターリーが25ルピーに比べれば、ずいぶんと豪勢なディナーだ。
店で働くインド人とお喋り。彼は、いかに日本人の女の子が簡単に落ちるかを力説する。ずいぶんと眉唾だなあと思って聞いていたのだけれども、彼は大事にしまってあるプリクラを僕に見せ、「これは彼女にムンバイまで連れていってもらったときに撮ったんだ。彼女は僕にメロメロだよ」と独りヤニ下がる。
彼が他の接客で僕たちから離れたとき、出稼ぎできているというネパール人がやってきて、「だからインド人は嫌いなんだ。女と見れば誰でも口説きやがる」といまいましそうに吐き捨てる。君はナンパをしないのか?と話を向けてみると、心底厭そうな顔で「僕には妻がネパールにいるんだ。そんなことは絶対にしない」と強い口調で言った。ずいぶんとお国柄が違うのか、それとも個人差の問題なのだろうか。
明日の朝は早いので、ここで二人にお別れの挨拶をして、宿に戻ることにする。
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1999/01/25 インド観光二日目
シャワーはぬるま湯だった。時によって熱い湯が出たり出なかったりだ。さすがに1月のインドでは肌寒い。
歩いてデリーの一等地、コンノートプレイスへ。英語の下手さに呆れられながらもアメックスで両替を済ませてから、郵便局でエアログラムを30枚買う。切手付きの簡易封筒で、裏面に文面を書き、糊で閉じればそのまま投函できるという優れものだ。ところが、窓口の係員には30枚というのがうまく伝わらない。何度も何度も「サーティー?サーティーンの間違いではないか?」と訊ねられる。そりゃこんなもの30枚も買う人間など、相当珍しいのだろう。普通の観光客なら絵はがきを買って出すのが相場だろうし。
インドのチャイもうまいのだけれど、コーヒー派としてはネスカフェ以外のコーヒーがたまらなく飲みたい。ここコンノートプレイスは日本でいえば銀座のような土地なので、当然高級喫茶店も存在する。いかにもご立派です!と主張しているような店構えの「United Coffee House」に入ることにする。
入り口からして回転ドアで、大変高い天井の落ち着いた店内は高級感あふれていた。客層も大変よろしいようで、ジーパンはいているような若僧は僕だけだ。
コーヒーが25ルピー、サンドイッチ(ポテトチップ付き)は47ルピー。インド物価に慣れつつある身としては、顔が引きつるような値段だ。さすがにチップをちゃんと払って出ることにする。リキシャーはどんどん郊外に進んでいく。予想以上に遠い。不安を覚え始めた頃、唐突に車が停まる。ちゃんと目的地に着いたようだ。
ここはデリーの郊外にある高塔、クトゥーブ・ミナール。インド一高い塔だとのこと。
インドの建築物を目の当たりにするたびに、僕は広角レンズが欲しくなる。どれも想像を超えるスケールで迫ってくる。ここだってご多分にもれず、何とか僕は全体をレンズに納めるのが精一杯。
予想より遠かったため、往路に20ルピー余計に払ったせいで、リキシャは僕の帰りを待っていた。気前の良さが災いして、帰りの交渉が面倒くさい。60ルピーでオーケーさせ、皇帝の墓所、フマユーン廟に向かう。
ここでは「勝手にガイドをしてくれちゃうおじさん」がいて、いちいち僕に建造物の由来を説明してくれる。もっとも大変分かりやすい英語の解説だったので、10ルピーを払うことにする。
ここからはインド門という、まるでパリの凱旋門のような建物まで歩いて向かうことにする。ところが、地図で見当をつけたより距離がある。あまり面白みのない郊外を、てくてくと歩く。
途中、道路工事の現場に出くわす。驚いたことに、サリーを着た女性人夫が、いかつい男たちに混じってもっこを担いで働いている。
インド門は、明日に迫った「National day」、インド共和国記念日を前に、戦車や軍人の姿が目立つ厳戒態勢に置かれていた。残念ながら近寄ることは出来ない。
そこからムガール帝国時代の天文台、ジャンタル・マスタルを見に行くけれど、知らなければただの公園としか思えないところだった。メイン・バザールで懸案の上着購入。黒地にカラフルな編み込みのしてあるエスニックな一品。450ルピー。後で親しくなったインド人に訊くと、少々高めとのこと。暖かく、しっかりした作りだ・・・と思ったのは大間違いで、後から後から編み込みがほつれ、えらいことになるのだった。
インド服を着て歩いていると、何人もに「それはいくらで買ったんだ?」と訊ねられる。おそらくインド人たちはその答えによって、こちらの「しまりぶり」、物価感覚や値切りの巧拙を見極めるのだろう。インド旅行中、僕は必ず自分の購入価格より、一割か二割安めに答える癖が付いてしまった。 -
1999/01/24 インド準備体操
今日は旅の準備をしようと思う。タージマハールで有名なアグラ、そしてエロティックな建築で有名なカジュラーホーへの切符を買いたい。
通りの外れでチャーイを飲む。3ルピー。牛乳が良いのか、コクがあって体が温まる。
ニューデリー駅には混雑を避けるために、外国人専用の窓口があるらしい。標識を頼りにうろうろするが、どうも見つからない。と、男に呼び止められる。
「外国人窓口かい?今日は日曜日だから閉まっているよ。切符なら観光公社で買えるよ」なるほど。言われてみれば確かに今日は休日だ。淡々とした男の口ぶりに、あっさりと僕はその言を信じ、男についていくことにした。
人を騙すにはポイントがある。
一つ、もっともなるほどな理由があること。
一つ、素っ気ない口調。
奴はその意味でプロだった。
連れて行かれたのは『普通の』旅行代理店だった。こういう状況になった場合、インドでは普通 まずぼったくられると思って間違いはない。
代理店の人間は僕が乗りたい特急のチケットを、法外な値段で売りつけようとした。
「全部わたしたちに任せておけば安心だ。何も心配することはない。ノープロブレム。そうだ、この新聞記事を見せよう」
彼が取り出したのは、「日本人旅行者の遺体が、デリー郊外で発見された。犯人はタクシードライバー。デリー空港から市内の間で殺害された模様」という英字新聞の切り抜きだった。ご丁寧にもスクラップブックに挟んである丁重さ。
「インドはデンジャラスなんだ。だからわたしたちプロフェッショナルに身を委ねたまえ」
やれやれ。何度この独り言を呟かなくちゃ旅は進まないんだろう。列車の切符とこの殺人に、いったい何の関係があるというのだ。
「その時刻表を見せてくれ」
男はインド国鉄の時刻表を見せながら、僕を説得しようとしていた。この僕に鉄道の時刻表を差し出したのが最後、それなら鉄道マニアのこっちのものだ。僕は時刻表をひったくると、運賃早見表を探し出して男に突きつける。
「どういうことだ。お前の言った料金の三分の一以下じゃないか」
「・・・、それは少し古いんだ」
男は苦しそうに答えた。勝負あった。
「じゃあな」
「ミスター、一人旅はデンジャラスだ」
「大丈夫だよ。ノープロブレム」
再び駅に戻り、僕は一般の窓口で四苦八苦しながら時刻表と切符を入手した。ニューデリー駅の南寄りには、鉄道局管轄の切符売り場があった。最上級の特急列車は、デリー-アグラー、アグラー-ジャンシー(カジュラーホーの最寄り駅)を合わせて665ルピー。1000ルピー札を差し出すと、「5ルピーは持っていないか?」と窓口の係員に訊かれる。他の発展途上国とは異なる応対で、日本的だ。さすが数学発祥の地。メイン・バザールに戻り、今度はインド服を仕立てることにする。この通 りには色とりどりの生地を並べた店が軒を連ね、選ぶのに困るほどだ。親父の愛想の良さ、というあやふやな理由でそのうちの一軒に入ることにし、まずは生地を選ぶ。薄手のクリーム地の綿布を、上下二着分購入。これで400ルピー。仕立て代は100ルピーというので言われるままに支払い、採寸に移る。この値段で完全オーダーメードというのはなかなかに心地よい。ちょっとしたお大尽気分だ。
生地屋と仕立屋は別の店になっている。一緒にやればよかろうと思うが、そこはカースト制度が存在するインド、厳然と分業になっている。カーストは職能制とも分かち難く結びついているのだという。貧しい国でのワークシェアリング、ともいえそうだ。
生地屋の親父が、仕立屋に何事かを言う。と、仕立屋が猛然と語気を荒げた。100ルピーでは足りない、120ルピーにしろという。生地屋は、「そういうことだ、あと20ルピー」困ったように僕に要求した。交渉の末、10ルピー追加で手を打つことにした。出来上がりは今日の夕方とのこと。
さて、デリー見物に出かけようと思う。まず向かったのはかつてのムガール帝国の王城、ラールキラー。リキシャを捕まえて走らせるが、ずいぶんと迂回して目的地に向かう。今までの苦い経験上、目的地に無事到着せず、どこぞの旅行代理店に連れ込まれる可能性が脳裏をよぎる。そのため、到着までずっと身構えたままだった。結果的にはことなくラールキラーに到着できたのだけれども。リキシャ代は30ルピー。
これが城か!
赤茶色の岩で造られた城の大きさは、日本人の度肝を抜くに充分だ。延々と連なる城壁、見上げんばかりの櫓。写真からは想像も出来ないその拡がり。感嘆しながら入場券を買い、城内に入る。中はさして目を引くものもない。この城は初見の一瞬こそが最も素晴らしい。
それから、オールドデリーにあるモスク、ジャマー・マスジットを見物。オールドデリーの物売りの激しさは噂通りだった。日本人と一発で分かる僕の周りには、西洋人の倍くらいインド人がたかる。
さて、と帰りの足を探すが、こういうときに限ってオートリキシャーは見あたらない。ならばゆっくり町並みを眺めながらの帰路も良かろうと、サイクルリキシャーを呼び止めてメインバザールへ。20ルピーで交渉したのに、25ルピーで不満げ。やれやれ。日が暮れ始めた頃、インド服を取りに行く。3つボタンのカットソーのような上着と、ひもで縛るだぶだぶのズボン、クルーターとパージャマー。なかなかの仕上がりで満足。惜しむらくはケチって薄手の生地にしたため、冬のインドでは少々寒い。後で上着を探そうと思う。
夕食にはなかなかうまいターリー、インド風定食を食べる。 アルミ盆に数種類のカレーと豆スープ、ヨーグルト。それにライスとチャパティーが食べ放題で25ルピー。野菜カレーがうまい。この後様々なターリーを食べるのだけれども、野菜カレーのうまさは日本より一段上をいっている。海外の野菜はどこでも大味だというのが今までの経験だったのだが、インドの野菜は味が濃い。カリフラワーやトマト、茄子など、具もバラエティーに富んでいる。
食堂を出ると、映画館に行列が出来ている。突発的に僕も行列に加わり、映画を見ることに決めた。座席は1階席と2階のバルコニーに分かれている。治安も心配なので、素直にここはバルコニー席を購入。20ルピー。
明快単純勧善懲悪。それに俳優たちの乱舞。字幕もないけれど、だいたいの筋が分かる程度に単純なので、それなりに楽しめた。インド人たちは、悪役が出てくればブーイング、ヒーローが活躍すれば口笛と、すさまじい歓声を上げながら映画を楽しんでいる。まるで舞台を見ているようだ。マサラムービーを堪能して、宿に戻る。 -
1999/01/23 インド最初の関門
朝食をラッフルズ・ホテルへと食べに行く。言わずと知れた名門ホテルのメイン・カフェはさすがに立派で、立派なホテルらしく入り口にはメニュー表など備え付けていない。気後れして隣のベーカリーに入る。
出されたのはリプトンのティーバッグに、まあまあのクロワッサン。一流とは言いがたい朝食だったけれど、勘定は700円近くした。これならばメイン・カフェに入った方が良かったのだろう。宿で荷物をまとめる。祖母が出発前に送り届けてくれたのは、大きな梅干しの詰め合わせ。「梅干しには殺菌作用がある」との言付けと一緒に。しかしながら、僕は元々梅干しを食べる習慣もなければ、バックパックの中で死ぬほどかさばってしょうがない大きさだ。家に置いてくるべきだったと思いながら、宿に残して空港へと向かうことにする。やれやれ。荷造りが下手なのは、何回旅に出かけても変わることのない悪癖だ。
シンガポールを午後に出た飛行機は、夜の9時過ぎにデリー・インディラガンディー空港に到着した。むっと湿気の籠もった暖かい空気が僕を包む。シンガポールとは明らかに違う空気。空港にはその土地の匂いが染みついているとよく言われるけれど、別にカレーの匂いなどしなかった。インド一の国際空港なのに、薄暗い照明の構内。匂いよりもこちらの方がインドらしい。
エアポート・バスの運行は既に終了していたので、ITDC(インド観光開発公団)のプリペイド・タクシーを捕まえて市内に向かうことにする。このタクシーも曲者で、構内にはITDC以外の旅行会社のカウンターもあるとガイドブックには書いてある。旅行会社のタクシーなどに乗ったら後が大変なのは目に見えているので、注意して目的のカウンターを探す。料金を支払ってクーポン、といっても走り書きがあるだけの紙切れ、を受け取り、男に案内されてタクシーへと向かう。薄汚れたインド国産車、アンバサダーに乗り込んだ。
車にはドライバーの他に、なぜかもう一人の男が乗り込んでいる。やれやれ。この先の話は簡単に推測がつく。それが、おそらくインド最初の関門になるだろう。
「ハロー」
助手席の男が喋りかけてきた。
「インドは初めてかい?」
僕は鷹揚に「いや、二回目だ」と嘘をついた。少しの油断も禁物なのは、過去の経験でわかる。
「そうかそうか。いや、インドはいいところだ」
男はそう話しながら、すぐに本題へと切り込んできた。
「ところで、今晩の宿は決まっているのか?」
きた。これこそがデリー空港名物「客引きタクシー」か。怪しげな民営タクシーに乗るとこういう目に遭うという話は聞いていたが、まさか観光公団のタクシーまでもが商魂たくましいとは。
「ああ。乗るときに言っただろ?メイン・バザールに行けって」
メイン・バザール、正式にはパハール・ガンジと名の付くその通りはデリー随一の安宿街だとガイドブックに載っている場所だ。その名を聞くと男は大げさな声で
「オオー、メイン・バザール!」
「そうだ」
「そこはとてもデンジャラスだ。ツーリストが行くところじゃない」
「以前にも行ったことがある(嘘だ)、大丈夫だ、そこに行け」
「最近はとても危険なんだよ、ミスター。それよりももっといいホテルがある。リーズナブルでコンフォータブルだ。どうだ、そこに行かないか?・・・そうだ、そこのホテルではツアーの手配もできる、とてもユースフルだ」
本当にこれが二回目なら苦笑するのかも知れないな、と僕は思った。客引き文句のオンパレード。しかし、これはやはり初めてのインドで、おまけに相手は二人組ときている。
やれやれ。
相手が言いたいことを言うのなら、こちらも断り文句を並べさせてもらおうじゃないか。
「いいからメイン・バザールに行け。どこにも寄り道するな。早く宿に行きたいんだ。宿には友人が待っている。彼とは今夜中に会う必要があるんだ」
「そうか、でもホテルを見るだけ見に行かないか?」
「いいからメイン・バザールにまっすぐ行け」
「とてもビューティフルだ」
「まっすぐ行け」
「見るだけだよ」
「行け!」
男は漸く口を閉じると、大きく両の手を天に掲げて見せた。
そうする間にも、薄暗い郊外を車は走り過ぎていく。ずっと窓外を注視していたけれど、これがどこに向かっているのか、当たり前だが見当もつかなかった。
やがて車は市街地に入っていった。初めて見るインドの町並み。薄暗い照明灯が街路を照らし出している。と、喧噪あふれる小路に入り込んで、車は停まった。
「ミスター、メインバザールだよ」
本当にメインバザールなのかどうかも分からなかったが、うなずいて僕は車を降りた。
「デンジャラスだよ」男はまだ説得を諦めちゃいなかった。僕がバックパックを担ぎ終わると、今度はチップをせびる。
やれやれ。
さっぱり方角が分からないが、歩くうちにホテルの立て看板がそこかしこに見えてきた。間違いない。メイン・バザールだ。
ガイドブックであらかじめ目星をつけておいた「Anoop Hotel」にチェックイン。ダブルの部屋しか空いていなかったせいで、一泊250ルピー。明日からはシングルルームに移れるとのこと。
とりあえずニューデリー駅までの道を歩いてみることにする。ここメイン・バザールはニューデリー駅正面からの数百メートルの通りで、道幅はわずか数メートル。しかし地の利の良さで外国人が集まり、いつしかインド随一の安宿街となった場所だ。道を歩くだけで、実感した。
確かにインドだ。
人並みに混じって牛が闊歩し、その横を多彩な襤褸を纏ったサドゥー(聖者)が杖を便りに通りかかる。ひっきりなしにかかる客引きの声、そして散乱するゴミと牛糞。
夜も更けたというのに煌々と点る店のライトの下では、旅行者たちが歓談に興じている。残飯を漁る牛が、時おり鳴き声を上げる。
インドだ。
僕は露店で、鞄をくくりつけるチェーンを買った。20ルピー。
さっそくインドに一敗したのはこの時だった。
インド物価に慣れた後で考えてみたが、どうみたって10ルピーもしない代物だ。 -
1999/01/22 シンガポール再び
乗り合いタクシーをYMCAの前で降りる。ここシンガポールでは、YMCAだって結構な値段の部類に入るので、もっと安い宿を探しに、ベンクーレン・ストリートに向かって横断歩道を歩き始める。
瀟洒な大通りから一本入っただけのその通りは、安宿街にふさわしく、少しくすんだコンクリートが目立つ。そんな乾いた通 りに、さらにみすぼらしい自転車に乗った男が立っていた。
「チープ・ホテル?」
「イエス」、と僕が答えると、男はこっちについてこい、という意の手招きをし、僕の先に立って歩き出した。彼はたまさかに振り返ると僕がきちんとついてきていることを確かめ、安心してまた自転車を押し始める。まるでハンミョウのようだ。
彼に案内されたのは、通りでも一番くすんだビルだった。年代物のエレベーターに乗せられて、僕は宿へと向かう。何も変わっちゃいない。
数年前に初めてシンガポールを訪れたとき、やはり僕は同じようにして彼に手招かれ、そうしてこの宿に着いたのだ。
宿の主人に「これからどこに行くの?」と訪ねられ、「インディア」と答えると、「オー、ダーティーカントリー」の一言が返ってきた。ダーティー。確かにこの清潔なシンガポールに比べれば、雲泥の差があるのだろう。
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