Archive for 9月 23rd, 2003

  • 豊かさとは何か2003

    Date: 2003.09.23 | Category: B:マジメな話 | Response: 6

    昔祖母からは「人生いいことばかりはないもんだ。人間苦労は買ってでもしろ。」と教えを受けて育った。で社会に出てみると大不況で、というか正確にはこれ以上経済成長が見込めない社会で、苦労がなかなか報われる気配がなく、どうも先達の教えと勝手が違って戸惑っている世代が、1976年生まれの僕たちである。親の教えをもう一度思い起こしながら、改めて現在の彼らの姿を見つめ直してみるんである。

    僕の祖父母は戦前の高揚、戦争・戦後の混乱を経て戦後の復興期を支えた世代であり、父母の世代は「貧しい日本」に生まれて高度成長を体現してきた。努力は善であり、生産こそが力だという信念に支えられた世代だとも言ってよいだろう。原則として余暇とは「明日への活力」という目的性を持っていて、目的無き快楽は悪だと潜在的に思っている。つまるところが仕事をすることこそが人生の目的でもあり日々の営みそのものでもあるのだ。
    紋切り型という批判を恐れずに言い切れば、まあそうだろう。

    で、努力と生産という仕事一筋の彼らは、果実としての”Japanese Dream”の成果を一身に受けることができた。で、端で見ていて幸せなのかどうかは判定の難しいところである。仕事以外の自分の虚無に気付くことが怖く、一生懸命幸せだったと呪文を唱えてみたり、六十を過ぎても仕事に打ち込んでみたり、豊かになったことで十分じゃないかと言い聞かせてみたり、必死で大金を遣う『余暇』を費やしてみたり、あるいはさらなる金銭的な豊かさを追い求めてみたり、あまり幸せそうではないんである。どちらかといえば、いささかに醜い。
    彼らの追い求め続ける努力と生産という名の信仰の到達点がそんな姿の中、今更努力と生産だけを善美として生きていくことを真似できる若者がいたら、かなりご奇特なのではないだろうか。フリーターを決して正しいとは思わないし、なりたいとも思わないけれど、無意識のレミング的行動としてのその生き方には、一定の共感を覚える。子供とメシも食えず一週間の休みも取れず、只働いて25年ローンのウサギ小屋を買う生活に埋没できる生き方を模倣できる若者が大多数になったら、フリーターやひきこもりの増加なんかよりもよっぽど日本民族滅亡なんではないのか。

    『子は親の背中を見て育つ』という至言があるが、今の日本は子が親に背を向けたことが生み出した停滞の中にいるように思える。僕は生まれたときからテレビがあってハンバーガー食い散らかしている(嘘だ。子供の頃、まだハンバーガーは休日のご馳走だった)世代に属しているけれども、豊かであるからこそ、『(経済的に)豊かになるため』ではない生き方ってやつも模索してみたいもんだ。

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